夏休み恒例富士登山
(UPDATE 2002/8/7)

太田家の第10回富士登山の記録(長男とカミさんが欠席)

僕を富士山へ連れてって
 次男坊の友達のお母さんから「今年も富士山行くの?」と聞かれた。「行くよ〜!」
「うちの洋平も連れてってもらえるかなあ…」とのご提案である。「いいよ、大丈夫だよ」と2つ返事で応える。
ちなみに僕は仕事でもなんでも取り合えず引き受けてから考える性質なんで、みんなも試しになんでも頼んでみるといいです。
お父さんもうまく休みが合えば、一緒に連れてってとのことだが、もう1人だろうが2人だろうが、日程と5合目までの足さえ確保できれば誰でも何でもOKである。
さて、この日程が問題でいつも僕の仕事と家族のスケジュールと富士山のお天気に悩まされる。
彼と次男坊は小学校1年生からのお友達で、今はバスケ部のチームメイトでもある。
で、この2人が所属するバスケ部が8月4日から恒例の強化合宿が始まる点と富士山が混みあうお盆の時期を外したいと考えると合宿前で練習のない日、7月29日の月曜日が第1候補に上がった。
おまけに、第2候補はないようだ。(カミさんの意見はいつも大きい)
僕のお仕事はというと月末までの仕事の目途がそれまでにつけば、月曜を休むことも可能である。
あとはお天気だが、これは神頼みの世界でもあり、悩んでも仕方ないので照準をここに合わせる。
今年から高校生の長男は、馬術部に入ったことから、夏休みに入っても、毎日朝早くから馬の世話をしに学校へ行ってるので、夜顔をあわせたときに「おまえ、今年の富士山行けるの?」と聞くと「ムリ!」と一刀両断にされた(/--)/。
日程を決めたカミさんに「どうする?」って聞くと「あたしも忙しいし3人で行ってきなよ!」って。
「はいはい、じゃあそうしま〜す」
家族4人での富士登山は簡単に幕を閉じた。_(^^;)ゞイヤー
小1の長男の夏休みの自由研究からスタートしたような子連れ富士登山であったが10年経ち、家族を取り巻く環境も大きく変わってきた。
太田家の恒例行事(高尾山の初日の出登山や尾瀬ハイキング等)は1つ消え、2つ消え、最後に残った富士登山と青梅マラソンは奇しくもHPの柱にした行事であった。
生来、飽きっぽい僕が10年続けてきたのにはそれなりに意味があり、毎年、家族で同じことをすること自体に、家族の成長の軌跡を感じ、家族の繋がりの変化を自分自身で確認できることにあった。
10年前
 まだ4歳だった次男は8合目までが限界で、山頂にアタックしに行った僕と長男をカミさんと待っていた。
 6歳だった長男は山頂到達後、剣が峰(富士山測候所)まで行く元気がなく頂上直下の大きな溶岩の影で僕がピストンで行って帰ってくるの小さく丸まって待っていた。
 うん歳だったカミさんは逞しい親父と長男の帰りを信じて延々8時間も8合目で次男を抱いて待っていた。
 ねっ?冒頭の話から皆さんも我が家の成長を感じるでしょ。ヘ(^o^)/
あんなにも1つにまとまっていた家族がそれぞれの道を歩き始めているのをね。
次男坊も来年はどうなってるのか怪しいでしょ。
僕はこの富士登山を「家族の定点観測」と称して、大事にしてきたわけですが、家族が参加しなければその観測はできないわけで、その意味も無いのかもしれないのですが、定点観測するためには、観測者である僕は同じ行為(夏休みに家族を誘い富士登山をするという)をする必要があるわけで、これからも恒例富士登山は続けようと思うのです。
いつの日か、また4人で登る日もやってくるのかな?
というわけで、今回は新人の洋平くんを連れての3人での富士登山記録です。

「山頂天気予報」のページがない!
 毎年、お世話になっていた「山頂天気予報」のページがWeb上からなくなった。
あのサイトが一番役に立ってたのに残念である。富士山頂測候所がなくなった影響かしら?
そんなこんなで、検索をかけていたら「富士山のバイオトイレ」の頁にたどり着く。
昨年もカミさんが利用したトイレだが、この頁で「水運びボランティアの募集」をしていることを知り水は多いに越したこと無いから多めに持っていって置いてくることにする。
山頂予報はないが富士五湖地方および富士宮の天気予報を確認してしっかりと「曇り」の確認。
同行するお友達のお父さんと前々日に学校関係のある会合であっていたので、21:00頃出発するから20:00頃までにうちに来ればという話をしておいたところ、20:15頃到着。
とにかく寒いから冬服を準備するように言っておいたが、荷物を見るとちょっと防寒具がたりなそうなので長男のワークシャツをひとつ足す。
やはり下界のこの暑さから冬支度をするのは思い切った頭の切り替えが必要なのだなあとシミジミ思う。
 8:45、武蔵野出発
  今年は、ギャソリンタンクもほぼ満タンなので大丈夫。
子ども達は同じバスケ部のチームメイトに携帯メールを送ったりしながらワイワイと賑やかだ。
 9:15、高井戸IC
  東名も空いていてほぼ標準時間で着けそうである。
「今日は曇りだから、きっとまた濃い霧に会うよ」と新人くんに伝えると案の定、自衛隊富士学校を過ぎた辺りからはいつもの霧が濃くなってきた。
初めての濃霧に洋平くんは興味津々だ。
新5合目駐車場はほぼ満車状態だが、登山口から200m辺り先で、1台分ちょうど空いていた。
ここ数年では一番いい場所がキープできたが、日曜のこの時間帯(23:35着)は初めてかもしれない。
洋平くんのお母さんが差し入れてくれたおにぎりを車の中で食べ、身支度を整えてからの出発を告げる。
僕と次男坊のザックにはそれぞれ朝食用おにぎりがはいっており、差し入れは6つのおにぎりだったので、残り3つを洋平くんの朝飯用に持って行ってちょうどピッタリ(の筈)の計算。
 23:53、登山開始
   雲の上に出ているが、月明かりは今ひとつなのでペンライトで足元を照らしながら登る。
登山道に入ってすぐのチップ制のトイレで用を足して出発。ちょうど0:00だ。
 0:13、新6合着
   10年前に買った子供達の金剛杖は小柄な息子と言えども流石にもう短くなってしまったので、今回は置いてきた。
洋平くんと一緒に杖を買うことになっていたが、あいにくと雲海荘はもう店じまいしており下りのときに買うことになるかもしれないと告げる。
子供たちの中学校では体育の中で武術を教えており、杖(ジョウ)も教えられているので「練習に使える」と喜んでいたのに残念だ。
15分ほど登って、平地に出たが6合目の山小屋跡が綺麗になっているではないか!
とうとう片付けてしまったようだ。
そうなると新6合から新7合までが一番長い行程となり、日中の強い日差しの中だと結構きついものがあるかもしれない。
 1:00、新7合着
   何故か、新7合目は開いていて、念願の金剛杖をゲットして洋平くんは大満足。
ここまでは洋平くんは元気一杯でまったく問題ない。あるとしたら僕と次男坊の方かもしれない。
いつもどおりにヒイ・ヒイ・ヘーと呼吸しながら登っている僕を尻目に、彼は疲れを微塵も見せずにグイグイと高度を上げていく。
 1:39、元祖7合目着
   ちょっと肌寒くなってきた。ワークシャツの腕まくりを下ろして、体が冷えないうちに更に上を目指す。
 2:20、八合目着
   上にフリースのジャケットを着て、子供たちにも上着を着るように勧める。
持ってきた行動食も取るようにすすめながら、チーズクラッカーを頬張る。
このとき、急に「そういえば差し入れのおにぎりの残りをちゃんと持ってきたっけ?」という思いが頭をよぎった。
残りを「はい」って渡したけど、ザックにしまいなさいって言った覚えがない。ってことは僕がザックに入れなければ誰も持ってきてないことになる。
しかし、ここで洋平くんに聞いて「えっ」となると悲しい思いをしてしまうので頂上までその答えをお預けにした。
うまくすれば、この上に万年雪があることを洋平くんに伝えて、登り始める。
洋平くんはまだまだ元気一杯で、登り始めは一緒に歩いていたが、暫くすると先にドンドンと行ってしまった。
道しるべの見方も分かってきているのでまあ心配はない。
9合目下の闇の向こうに万年雪が見えたので、「洋平くん雪見たか〜」と上に向かって声を掛けるがまったく反応がない。
かなり先に行ってしまったようだ。
後ろのパーティの人がその様子を見てて、「あの白っぽいのは雪なんですか?」と聞いてくる。
「その年によってあったりなかったりですけど、今年はありますねえ」と教えてあげると「おーーい、雪だってよ!」と喜んでいる。
と暗闇にうずくまってる男性を発見。
「大丈夫ですか?」と声を掛けると「…気分が悪くて…」と具合が悪そう。
「高山病ですから、深呼吸して酸素を多く取り入れるようにしたほうがいい」と勧めていると、例の後ろのグループの人が、「ボンベあったよね」と声を掛けて手当てをしてくれた。
僕は「不便さを共有することで人間らしさが取り戻される」という持論の持ち主で、よく立ち往生する中央線の電車の中で乗客同士が仲睦まじくなる姿に思い至った考えなのだが、ここ富士山でもこうした場面によく出くわす。
都会人よ!街を飛び出そう!不便さを楽しもう!隣人に目を向けよう!
 3:01、九合目着
   洋平くんは10分前に着いていた様子。元気一杯だが、このままドンドン登ると頂上で極寒の夜明け前を過ごすことになってしまう。
標準コースタイムだと90分だけど、去年はここから60分で頂上へ到着していることを考えて12分の休憩を取ることにした。
われらの頂上到着予定時刻は4:20、日の出の予想が4:25頃なので、まあこの休憩でちょうどうまい具合の調整と考えた。
 3:45、九合五勺着
   いろいろと意見もあろうが、僕は夜間登山が好きだ。
早朝の冷え込みも登山中には強い味方になる。
紫外線が燦々と降り注ぐ日中のこの道は「死のロード」と呼ぶにふさわしい過酷な行程になる。
しかし、時間調整さえうまくいけば寒さに震えながら日の出を待つ時間もそれほど長くはないはずだ。
と思っていた矢先、頭上のライトの列が止まっているのに気がつく。
思いは一緒で、ピンポイントの時間を目指して頂上直下から渋滞が起きていた。
ここらからは足場の高低差が大きくなっているので、1人が立ち往生するとあっという間に渋滞を起こしてしまうのも至極もっともな話であった。
急に時間が気になり始めたが、渋滞の列がそれなりに動き始めた。
暫く、進むと段差の大きい箇所で脇に避けているパーティを見た。
迷惑を掛けまいと数珠繋ぎになってしまった一団をやり過ごしてから再度チャレンジするつもりなんであろう。
暗闇の中に山頂の見覚えのある岩が見えてくる、先を行く洋平くんに「鳥居が見えたら頂上だぞ〜」と言うと「見えた〜」と返事が帰ってきた。
 4:17、頂上着
   山頂は、日の出を待つかなりの数の登山者で一杯だが、寒さをしのいで固まっている一団と動き回っている一団に大別される。
小屋の脇の比較的に風の当らない場所を確保して、子供達に上着を全て着るように指示をしてから山頂の東側に回ってみるが、ガスっており、日の出は拝めそうにない。
もう仕事に行くはずのカミさんに携帯電話をして、時間通り着いたけど、日の出は見れそうにない旨を伝えて、僕も風を避けて頂上小屋が開くのを待つ。
比較的風が弱い日ではあるが、太陽の日差しが陰る山頂はやはり寒く、子供たちもろくに眠れなそうだ。
山小屋が開いたので、子供たちを起こして、小屋に移動させる。
風は来ないがまだまだ寒さに凍えている。
山小屋には暖を求めて登山者が集まってくるが、まあ行儀の悪い人もいるようで、小屋の人が「横にならないで下さい、自炊の人は外に出てください!」とアナウンスしている。
疲れて、眠くて横になりたい人の気持ちも分かるが、一人でも多くの人に体を休めてもらうのに、横になって寝られては困るし、自炊して火を起こせば危ないし、このアナウンスはもっともなことである。
そろそろ朝飯にしようと思い、膝を抱えて眠っている洋平くんに「車の中の残りのおにぎりどうした?」って聞くと、「袋に戻して、席に置いてきた。」との返事。わはは、やっぱりなあ〜と思って、「そうか」と返事してザックから持ってきたおにぎりを出してから、山小屋の例の800円のカップ麺を買いに行く。_(^^;)ゞイヤー
湯気をたてるカップスターを両手に「起きろ起きろ、朝飯だ!」と子供たちを起こして、次男坊にもザックからおにぎりを出すように指示して、みんなで朝食の開始。
「うわ〜あったかい〜!」凍てついた子供たちには、冷たいおにぎりだけでは喉を通るものでもなく、結果的には良かったなあと対面でおにぎりを頬張る。
朝食も食べ終えて、山頂郵便局に行くとハガキを買う人でごった返している。
この辺は慣れたもので、すでに家で準備してきた暑中見舞いを山頂ポストに入れて、剣が峰を目指す。
小屋の裏へ回ると越冬したバイオトイレがあり、係りの青年がいたので、「ボランティアの水運びをしてきたんですが」と伝えると「ありがとうございます」と歓迎してくれた。
武蔵野市の水をポリタンクに移すと、「どうぞただ(本来200円)でご利用下さい」というではないか。
僕は尿意はないし、手馴れた次男坊はさっさと普通のトイレに行ってしまっている。
で、「洋平くん使ってごらんよ!」ということでバイオトイレを経験してもらった。
昨年、このバイオトイレ越しに見た測候所の富士山ドームは綺麗に無くなっており台座だけが残っていた。
本来、富士山頂という自然に対しては異質なドームであったはずだし、より自然に近くなったのだから歓迎すべきことなのだろうが、不思議なもので、人工的な建造物でもそこに長く存在することで、自然と調和していくものなのだということを実感した。
いつの日にか、またこのドームのない景色が普遍的なものとなり、バイオトイレのある景観が普遍的なものなるのかは分かりませんが、どうぞ噴火しないで、いつまでも見守っていて下さいと山頂の神様に祈りつつ下山をしました。

山頂からの暑中見舞いに「富士山の同行者」を募集したら、結構な方々が「1度は行きたいんで」と手を上げてくれました。
ちなみに洋平くんも「来年も行く!」と言ってくれてます。
ということで、家族が帰ってくるその日まで、皆さんご一緒にどうぞ!

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