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<15km地点の川井交差点手前からの写真
さあ、折り返しで、安全のため道を渡り再び右側へ
復路は往路のポイントから200m手前が各ポイントになるのですが、
僕の調べた青梅豆知識も散りばめながら、参考までにご覧下さい。
奥多摩大橋のある川井交差点が15Km地点になり、13:55の関門があります。
『左から多摩川に流れ込んでくる大丹波川(おおたばがわ)が岩肌を大きく
切り裂いているため、いにしえの青梅街道の難所であった』とこの沢に掛かる大正橋
のたもとに碑文があります。2つの川が合うところから「川合い」→「かわい」と地名
の語源にもなってます。
以前、右の奥多摩大橋の橋げたから下の岩場に踏み込んだ時
(階段があって途中まで下りることができる)に大正時代の煉瓦作りの基礎がまだ残っ
てました。
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<16km地点からの眺め
往路で見かけた塹壕跡を左に越えて暫くすると右に
奥多摩銘菓「山の呼び声」
の看板が見えてきますが、この看板の正面辺りが16km地点になります。
「山の呼び声」はウェハース状の生地をホワイトチョコで包んだ洋菓子ですので
「うめまんじゅう」や「梅羊羹」といった和菓子系が苦手な人へのお土産に良いでしょう。
でも一番の土産はやっぱり完走でしょうね!
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<17km地点とその手前の眺め
○に東の横田建設(なんで、東なのかは未だ不明)を左にテケテケ進むと往路で見かけた
御岳美術館降り口の看板が出てきますがその先の黄色い防護壁の福田さん宅前が17km地点
になります。ちょうど写真の道路奥手に白っぽく2つの墓石みたいに見えてるのが防護壁です。
枠内画像は17km地点ビジョンです。
さて、ここ御岳はその名の由来となる
武蔵御嶽神社(御岳山)が有名。
ただし、ここも青梅マラソンのコースからは大きくはずれるので当日、御岳山地区に宿を取らない
とちょっと寄り道という感じでは行けません。
御岳山地区はいにしえの時代からの山岳信仰の地なので旅館は数多いので、地方から参加される方
でついでに東京見物もしてもう1泊くらい泊まれる方にはいいかもしれません。晴れていれば都心
を含めた関東一円のパノラマが見れます。
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<18km地点と手前の小滝
往路で見かけた御岳郵便局を過ぎると左には小さな滝(写真城枠内参照)が水飛沫を上げています。
右手に「肉のおざわ」をやりすごして、18km地点は左手の大舘建設工業の前になります。
3年前に師匠と一緒に試走に来た際、折り返し地点で行きすぎて後ろから走ってくる師匠がいうには、
御岳の18Kmを越えた辺りから、私のスピードが落ちたようです。
ですから、初心者の皆さん往路はあせらずじっくり走りましょうね。
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<19km地点付近眺め
往路でも紹介した”柚の里”勝仙閣を通り越して右にぐっと曲がると真っ直ぐな下り坂に出ます。
19km地点は右手にミスタータイヤマンをやり過ごして下った清水さん宅前(写真の石垣が切れて
左斜めに細い道が出てきますがその辺り)。白枠内は19km地点からの眺め(道路に19kmと書いてある
のが見えます)です。
やはり2年前の試走の際は小澤酒造を超えたあたりから足もとが危なくなってきました。
また、本番の際にはよく
沢井市民センター
の救護所でサロメチールを塗りまくっているランナーを結構見かけます。
20km地点には関門(14:25)もありますし、ここらは初心者にとってまず踏ん張りどころとなるでしょう。
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<20km地点付近眺め
20km地点はこの沢井市民センターの辺りから始まる高い石垣の先にある鉄骨がりりしい清水さん宅前。
(写真の石垣の先に民家が見えますがこの家です)白枠内は清水さん宅前からのビジョン。
しかしさすが水の奇麗なところだけあって清水姓が多いです。
往路でも紹介した小澤酒造の「澤乃井・大吟醸」はこの地の地底より湧き出る岩清水と山田錦(最高の酒造米)
を粟粒大になるまで精白して仕込まれた酒の芸術品。
しかし、ポイントが清水さん宅ばかりですと目印になりませんね。せめて岩清水さんとか大清水さんとか
もう少し混ざってもらったほうがいいですね。
軍畑大橋を右手に鎧橋をわたるといよいよあの往路で渋滞も起きる三角山の坂道です。
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<21km地点手前の眺めとポンプ場
21km地点は右手のポンプ場管理事務所の前になります。写真の右手奥の白い物体です。
(白枠内は管理事務所写真)
写真でも分かるような恐怖の壁のような上り坂。これは、こたえます。
もうかなり足にきます。本番の時はもうココの坂は歩いている人の方が多く感じます。
もっともこれは僕のレベルの話なのでもっと速いランナー(もっと早い時間帯)の場合は
そんな光景を拝むことはまずないでしょうね。
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<22km地点からの眺め
坂を上りきると二俣尾駅。その先、左手には海禅寺総門があります。
僕はこの建物は鐘付き堂と思ってたのですが、実は楼門で老朽化したので修理して門
としてではなく参道の左脇に移設されたそうです。
二俣尾とは『辛垣山(からかいさん)から南下する2つの尾根筋の尾っぽ』というのが
その名の由来であるが、この辛垣山には15世紀に青梅地方を支配していた三田氏の最後の拠点、
辛垣城
があり、海禅寺はその三田氏の菩提寺である。
「最後の城」というのは永禄6年(1563)に北条氏の攻めにあい落城したからであり、この二俣尾
は壮絶な戦場となったのである。実は軍畑(いくさばた)という地名もその戦火が及んだ軍端
(いくさばた)にあると言います。
歴史の話はこの位にして、その先の右手にセブンイレブンを流して、22km地点は左手の
清水技建工業の前になります。このカーブミラーが目印です。(白枠内は右側にある
清水技建工業の看板の写真)
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<防護トンネル
木工房「らびっと」、ENEOSを超えて石神社を回り込むと往路でも遠目に見ました防護
トンネルが見えます。
この防護トンネル前が23km地点になります。
石神社の由緒は不明ですが、古文献には「神体は丸き石なり」とあり、当然、駅名「石神前」
の由来はこの石神社にあります。
とっておきの話をひとつ。「石神前」と言う駅名、もとは
「楽々園」
(失楽園ではありませんよ)だったんだそうです。この地の右下に「青梅鉄道」が作った唯一
の園地施設「楽々園」があったのです。
現在はブリジストンタイヤが所有して「奥多摩園」と改名されたらしいのですが、今でも奥多摩
の数少ない庭園として残っております。
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<24km地点からの眺めとシュロ並木
下り坂に助けられるように足を運ぶと往路で見慣れた「奥多摩釜めし」「セントフローリア教会」
「へそまん」と続く。「あーーまだここかあ」という思いをひきずりながら日向和田駅前を通過、
まっすぐ伸びる坂の途中の島崎さん宅前が24km。
右手の先に「セントフローリア教会」の看板も見えます。
もう少し下った所の左手にシュロの並木が出てきます。(白枠内写真)
さて問題です、日向和田(ひなたわだ)があるなら日影和田(ひかげわだ)もあるのか?
多摩川の対岸の和田町が実はそうだったんです。
中世には川向こうとこっちが一つの和田村で、日向和田と日影和田(日が傾くとよく分かります)
だったんですと。”日影”を取っちゃった気持ちよく分かるなあ…。
そんな和田町の気持ちを察しながらテケテケ行くと、とどめを刺すような宮の平手前の急坂、
いやあ歩いてる人に抜かれそう。
これを乗り越えて25km、14:55の関門です。
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<和田乃神社
しだれ梅で有名な明白院(めいぱくいん)を左に見て曲がりながら上り切ったかなと思って
いると正面に出てくるのが和田村の鎮守様
「和田乃神社」(地元では”三島さま”)。少しゆるやかにはなってますがまだ上りは
続いている。
25km地点はこの和田乃神社の先の坂を上りきった辺りで宮の平駅のすぐ手前、左手に
「スナック道(みち)」(お店はなんか道路の下みたいですけど…)という赤い看板が出て
きますがそれが目印です。ここで切られたら悲しいですね。
宮の平の駅名はここが和田乃神社の境内にある平地から来たものと言いますが、その名の通り
駅前は平地です。この後すぐ、1度だけ小さな上りがありますがフィニッシュまでは緩やかな
下りだけになります。
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<古民藝ふくすけと七兵衛公園
あとは5kmじゃないかと言い聞かせながら行くと左手にお地蔵様やら道祖神やらを納めた小屋
があります。ここはイダ天の神様、
裏宿七兵衛の屋敷跡、七兵衛公園(写真白枠内)でした。
彼は何故イダ天の神様になったのか?
中里介山の『大菩薩峠』を読まれた方はご存知かもしれませんが(残念ながら僕はこの大長編
小説を読んでいません)、そう彼は義賊だったんです。
江戸の豪商の倉を襲い飢饉に苦しむ人々に与えた庶民のヒーロー。(実在の裏宿七兵衛は小説の
時代よりも100年ほど前の盗賊団の首領とも言われております)そんな彼の逃げ足の速さから
イダ天の神様となったのでしょう。
七兵衛公園を横目にさらに進むと可愛い丸ポスト(売りもんじゃあありません)が置かれた
古民藝ふくすけ、26km地点はこの先の左手の大きな庭をもった並木さん宅前です。
(通りの右側には八百誠商店があり目印となります)
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<中央図書館前交差点
ふたたび、青梅宿に入ると帰って来たぞと元気が出てきます。
本番では「あとちょっとだよ〜」とか「あと2キロ!」とか元気づけの為か結構いいかげんな
監督達の指示が飛びます。(笑)
それでもみんなの声援はとっても元気がでます。この写真のバスの所が往路でも説明しました
中央図書館入口の信号です。
27km地点はこの信号の先左手、「めがねの清水」前になります。
そうそう、中央図書館裏には前述の裏宿七兵衛の
七兵衛地蔵尊
があってワラジとかランニングシューズとか奉納されていて青梅ランナーが完走祈願にやって来るそうです。
(取材に行ったときには靴はなかったですが、カラス対策かなんかで食べ物を供物にするなってありましたね)
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<28km地点手前の峰屋さん
さあ後はもう気合いで走ります。
28km地点はこの武道具ショップ峰屋さんの30m位先にあるペイントショップミネギシ前です。
ところで青梅(おうめ)の由来はご存知でしょうか?
色々な説はあるのですが1番有力なのが「平将門金剛寺誓の梅」説です。なんじゃあ、それは?
と言いたくなりますね。はい、では解説しますと、『承平年間(931〜938)都よりの帰りにこの
地を訪れた平将門がひと枝の梅の木を地に差し、「わが事成るならこの梅栄えよ、成らぬなら枯れよ」
と神に誓ったところ、この梅が見事に成木し、実を結ぶまでになったが、その実は秋になっても実が熟
さずいつまでも青々としていた。将門は喜びここに金剛寺を建立し、この地を「青梅」と呼ぶように
なった。』と言うことです。金剛寺は往路の3km地点手前に出てきた熊野神社のさらに手前、
「リカーステーションおかざき」前から左手の坂を降りたところにありまして、その青梅の梅の木は老木
となってますがちゃんとありました。ちなみにこの黄色くならない梅は当然変異種ということらしいですね。
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<デニーズ東青梅店
最後の関門である青梅市役所前、15:20関門を
通過すると左手にデニーズが見える。このデニーズ前が29km地点。
スタート地点を横目に後、800m。ここからが思ったより長く感じます。
あの信号か?あの信号か?と思いつつ走る感じです。本番では正面が人の壁になっているので
すぐにそれと分かりますが、試走の時にはもう信号の数かぞえるだけです。
そう3つ目の信号「河辺(かべ)駅前」ここで右折して、体育館前の横断歩道の上が30km
のフィニッシュです。
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<青梅総合体育館と台座
どうですか?30kmの旅は楽しめそうですか?
僕は思います。
練習に励んで心肺機能と筋力を鍛え、本番のレースの時には自然と歴史を堪能しながら30km
の旅が楽しめることができたら最高の青梅マラソンになるだろうと。
あの素晴らしい青梅路が目に入らなかったらこんな残念なことはありません。
だから皆さん、本番で苦しむより練習で頑張りましょう。さあて、ひとっぱしり行ってくるか!
体育館前のモニュメントの台座には、青梅マラソン歴代の優勝者の名前が刻んであります。
表面は30回までのプレートで一杯になってしまいまして31回の分からは裏側に納めることになったようです。
毎年の男子30kmの部の優勝者がここに貼り付けられていく訳ですが、Qちゃんの女子の部
だと思うのだけど、記録は特別扱いかな?
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