●いやはや、快走録遅くなりました!会社からの帰りに電車内で書き溜めました。
◇2/11 建国記念の日
武蔵野の自宅から多摩湖まで往復30kmの練習コースを3時間40分掛けて練習
◇2/14 前日のこと
府中の森で息子の学校の発表会。
以前、この快走録でも紹介したが、息子が通ってた(この春卒業)MH学園はBOSTONに姉妹校があり、この日このBOSTONから関係者の皆さんが来賓として来ておりました。そして、聞いて驚くなかれ、この一行の中、米国人のMr.Kが明日の青梅マラソンに出るというではありませんか!さすがボストンマラソンと姉妹関係にある青梅マラソンです。「明日、逢いましょう!」と握手をして別れる。
夜7時から地元市民団体の世話人会なるものに顔を出して、中生(関西では生中って言うらしいけどね)を5杯ほど飲む。
◇2/15 6:30
カミさんのモーニングコールで6:30に起床。
納豆とみそ汁(ワカメと油揚げ)で朝食。おにぎりを1つ作って用意しておいたバナナ2本とともに荷物に突っ込む、シャワーを浴びてからTVをみながら腕時計の時刻合わせをする。
◇2/15 7:45
駅へ向かう途中でタオルを忘れたことに気がつき途中の100円ショップへ立ち寄るが売り切れ。そんな訳はないのだけど、青梅ランナーが皆、先に買っていたのかなあなどと考えてしまう。
この100円ショップでスポーツ報知を購入。(100円じゃあないけどね)
◇2/15 9:05
河辺駅につき小学校へ直行、ゼッケンを受け取る。
体育館はというと椅子席は荷物で埋まっているもののフロアはガラガラ状態。
昨年も病院地下駐車場で活躍した銀マットを敷き1人分のスペースを確保
持参のおにぎり1つとバナナ1本を食べる。
◇2/15 9:45
体育館のトイレに寄ってから10kmの部を応援しに出てみると、なんとちょうど目の前を昨日握手したMr.Kが走っているではないか!よくみるとMH学園の高等専修学校陸上部の集団がその前を走っている。
今年は陸上部こぞっての参加と言う。
スタート地点で彼らを見送ってから、体育館前のフィニッシュ地点まで戻るとまたまた学園での知り合いのCさんに逢う。所用で来れないお母さんに携帯で実況中継している。まったく便利な世の中になりました。
O先生もK氏も生徒達も元気に帰還、フィニッシュ後の皆さんをねぎらってから再び体育館へ戻り、最後の食事にとバナナ1本を食す。
◇2/15 11:30
ここで大きい用も足しておこうと小学校脇のトイレに寄ってからスタート地点へ向かう。昨年の頑張りのお陰か100mほど前へ移動している。
スタート地点での出走登録をして柔軟をしているとチームてけてけ主宰のタイラー氏が登場。メンバーのミッチーは僕の後ろの方にいるという。
◇2/15 0:00
号砲は聞こえなかったが10秒ほどで人並みが動いた。
道路の右端をひたすら前へと進みに5分後スタート地点を通過。ミスターが元気よく手を振って応援してくれている。以前より立ち止まるランナーがいなくなったのは評価に値する。またミスターも自分がスターターを行うことで事故や遅延が起きることは望んでいないわけで「前を向いて走って下さい」というのも笑えるけどその気持ちは伝わった。
1kmの農林高校前のクランクで渋滞に会う。
その年によってここで渋滞になってしまうのは何が原因なのだろうか?
やはり早い時間帯に通過すれば渋滞はないのではないかと思うのですがどうなんでしょうね?いつも早く通過している方、いつももっと遅く通過している方の話も聞いてみたいですね。5kmを過ぎて左手で梅干マン(ほとんど丸い着ぐるみでご苦労様です)とわさびマンが青梅特産の梅干をサービスしてくれている。ここで梅干を2つゲットして1つを口に入れ、もう1つを手に走った。そうクエン酸の力ってやつですね、この手に握った梅干を口に入れたのはかなり後でそれまで鼻に近づけてスッパイにおいだけで結構走りました。
梅干サイコー!
梅干を片手にへそまん前の和太鼓、セントフローリア教会の花嫁達に見送られながらひたすら坂を上り、石神前を過ぎると知り合いのK先生を発見。
K先生は前述のMH学園創立者の息子さんで、この青梅の地に山荘を持っていらして、僕もなんだかんだと理由をつけてこの山荘によく遊びに来させてもらっているということで青梅との繋がりの1つを作って下さっている方です。
こうして応援のギャラリーの方から見た僕達ランナーのことを考えてみるとこのアメにたかる蟻のような人また人の波の中から知り合いのランナーを見つけ出すというのは結構大変な作業なわけです。これまでもよく石垣の上から「おおっ!○○さん」と声を掛けているシーンに出くわしましたが、あれって高い所からお目当てのランナーを遠くから探しながらズーーーッと待っているんですよネ。私設エイドステーションといい、こうした応援といいほんと嬉しいですね。そんな訳で僕の方からK先生に声を掛けて「どうも頑張って行ってきます」しか言えず、K先生にしてみれば、それこそあっという間(こんな僕のスピードでもね)に立ち去ってしまうのでした。
8km地点の怒涛の下り坂でも渋滞がおきてました。ここの渋滞の原因は復路を帰ってくるランナー達用に片側を通行止めにする為です。そう、この先軍畑大橋を過ぎた辺りでトップ集団と擦れ違います。今年は10人位の集団だったでしょうか、さすがに野口みずきさんはいなかったのですが程なく走る女王様のごとく従者を従えて彼女はやってきました。女子ではダントツである。
僕は高橋尚子さんが出場した年には父親の病床に付き添っていたので出場できなかったのですが、やっぱりこんな感じだったのでしょうね。
10kmを過ぎた辺りからやけに喉が渇き給水の回数が増える。
やはり昨晩の生ビール5杯が効いてしまったようだ…。
大コーンを周って復路へ
◇15km(1:37:19/6901位)
いつもは楽しみのお煎餅ステーションですが今年はなんともらわずに通過する。もう口の中がパサパサでお煎餅を食べる気にならなかったのです。その代わりに給水ポイントがあるたびに水をもらって走る(もちろん口に含む程度ではあるのですが)。
20km(2:09:08/6916位)
◇20km(2:09:08/6916位)
この辺りから足が重くなってきまして、走りもヘロヘロになってきてました。二俣尾の坂を上った辺りで1人のおじいちゃんと並走してると沿道から「おじいちゃんあと3キロだから頑張って」との声を聞く。おじいちゃんは全く無反応にもくもくと走ってましたが「おいおい3kmのわけないだろ?馬鹿にするんじゃないよ」と思ってしまったわけです。よく沿道から「頑張れ、あと○キロ」とか声が掛かりますが、これだけいい加減なエールは初めてでしたね。
見慣れたコースの中、沿道から「頑張って」と声を掛けられた。
そう往路では僕が見つけたK先生が今度は僕を見つけて声を掛けてきてくれたのです。今度は人影もまばらな中でのヘロヘロランナー探しなので沿道のギャラリーの方に分があるわけです。「いやあもうヘロヘロですよ」というしかない僕でした。
見れば分かったでしょうね〜(^^)ゞ
へそまん前で和太鼓の皆さんがヤクルトを差し出してくれていました。
このヤクルトですが、これは量といい持ち運びのサイズといい、またアルミの飲み口に少しだけ穴を開けると走りながらでも飲めるので最高の品です。感謝、感謝!
◇25km(2:45:00/6951位)
右前方に往路で見かけた梅干マンが「(梅干が)あと2個だよ〜」と叫んでる。
おおっ!と右端によろうとした途端、前方のランナーがその赤い特効薬を持ち去っていった。
僕の顔が「梅干を下さい」って顔だったんでしょう…、梅干マンは僕の顔を見ながら「ああ!なくなりましたあ〜」と謝罪でもするかのように絶叫してくれた。
あの1つぶがあれば1kmは元気で行けたのになあと思いつつきもち右にふくらんでコースを外れた僕はスゴスゴとまた左端に戻って走りました。
さて、なんで左端かというとやはりこれは遅いからなんですね、元気なときは右端というか道の真ん中を行きますが、遅いときは、気持ちとしてもう「どうぞお先に…」って感じになってるんですね。
市役所前を3時間16分に通過、おおっ無事に帰って来た。
ここまでくればもう安心。でもピッチが上がらない…
こんなにスパートが掛けられないってのも初めてもんです。
ということで疲労困憊の30kmの旅でした。
◇30km(3:23:08/7100位)
着替えの後、いつものように河辺の交差点のコンビニでカップ麺を買いお湯を足す。
これはこの時間、どこももう一杯で入れないので考えた手です。
さて。いつも通りであれば、その場で食べて河辺駅から帰るのですが、今回は混み合っている河辺駅を避けて、一つ前の東青梅から乗ってみようと再び青梅マラソンコースに沿って東青梅方面へと歩き始める。
カップ麺を啜りながら顔を上げると前方からランナーがやってくる。
ゼッケンを付けていることからみて青梅ランナーであることに間違いない。
おそらくは復路のどこかの関門で門限にひっかかりチップを取られながらも回収バスに乗ることなく、もくもくとここまで走ってきたのであろう。
腕時計に目をやると16:40。道を譲りながら心の中でこの最後のランナーに拍手を送った。
まあ、早いことが1番なんだけど、それだけじゃないよなあと思える出来事でした。
共に走ったランナーの皆さん、多くのサポートをして下さいました市民の皆さん、そして大会運営本部の皆さん、ありがとうございました。
また、来年、青梅でお会いしましょう!
一般30キロ 男子の部
記録 太田 秀昭 3時間23分08秒 、7100位